「隆は、明日横浜マリーナへ行くんだし、そ
ろそろ寝る?」
「そうだね」
「じゃ、私は、弟の部屋のベッドメイクして
くるね」
「いいよ。そのぐらい自分で出来るから」
隆は弟の部屋に1人で行った。
「あんたも、一緒に行ってみてあげなさいよ
「うん、わかっている」
麻美子は、隆の後を追っかけた。
「あの2人、何かきっかけがあればね」
「隆は、明日横浜マリーナへ行くんだし、そ
ろそろ寝る?」
「そうだね」
「じゃ、私は、弟の部屋のベッドメイクして
くるね」
「いいよ。そのぐらい自分で出来るから」
隆は弟の部屋に1人で行った。
「あんたも、一緒に行ってみてあげなさいよ
「うん、わかっている」
麻美子は、隆の後を追っかけた。
「あの2人、何かきっかけがあればね」
「だいたい、俺には、渋谷に自分の会社があ
るのに、サンフランシスコに赴任できるわけ
ないじゃん」
隆が、麻美子に返事した。
「それは、まあ、そうね」
「サンフランシスコはともかく、中目黒から
渋谷へ通うことは出来るわよ」
麻美子の母親が、棚の中の食器をチラつかせ
ながら、隆に言った。
「お母さん!」
麻美子は、自分の母に苦笑していた。
「だから、隆ってそうなの?」
麻美子が、再度隆に聞いた。
「え、何が」
「だって、サンフランシスコに赴任させても
らえたり、高級食器もらえたりって話すから
お礼を言っただけなんだけど」
「あ、それだけね」
麻美子は、ホッとしたように呟いた。
「お礼なんか言うから、その、隆が私と結婚
したいのかと思ったわよ」
「そういうのじゃないよ」
「ここの棚に入っているものは、ヨーロッパ
から取り寄せたとっても良い食器なのよ」
「お母さんも、変なこと言い出さないでよ」
麻美子は、自分の両親たちに苦笑していた。
「ね、見て」
麻美子の母は、食器を1個手にとると、隆に
見せた。
「良い食器ですね」
「でしょう、隆さんにあげてもいいわよ」
「ありがとうございます」
隆は、麻美子の母親にもお礼を言った。
麻美子の父は、しきりに隆のことを自分の貿
易会社に誘いたがっていた。
「お母さんも、隆くんが、うちの麻美子と
一緒になってくれたら、中目黒の実家にあ
るもの全部、隆くんに譲ってしまうわ」
麻美子の母は、キッチンにある高級な食器が
飾ってある棚の中を眺めながら、隆に話しか
けていた。
「ありがとうございます」
隆は、麻美子の母親にお礼を言った。
「え、隆ってそうなの?」
「そうなんだ。サンフランシスコっていうの
は、ヨットマンには羨ましい環境だよな」
隆が、麻美子の話に答えた。
「隆くんが、うちの会社で貿易商になってく
れると言ってもらえるなら、こいつの弟なん
て、すぐに辞めさせて、サンフランシスコ店
の支店長に昇格させるけどな」
麻美子の父が、隆に言った。
「お父さん、隆が返事に困るようなこと言わ
なくていいのよ」
麻美子は、父の言葉に咳き込んでいた。
「だってよ」
「別に良いんじゃない」
麻美子は隆に答えつつ、父にも答えた。
「そうなんだ。少し前に、LINEで弟と話
した時に、私が隆の買ったヨットに毎週末乗
っているって話をしたんだ」
麻美子は言った。
「そしたら、ヨットなんてサンフランシスコ
じゃ、周りじゅう海に囲まれていて、あっち
こっち走っているから全然珍しくないんだっ
てさ」
「次の海の日の三連休も、あなたたちは、ヨ
ットでお出かけするの?」
「そのつもりだよ」
麻美子は、自分の母親に返事した。
「まあ、次の三連休はヨットで出かけてもい
いけど、その後の週末は、仕事で弟が日本へ
帰ってくるぞ」
麻美子の父は、姉である麻美子に伝えた。
「それじゃ、再来週は泊まれませんね」
「隆さんは、麻美子の部屋に予備ベッド持
っていって、そこで寝たら良いわよ」
隆は、普段、会社がある平日は、ここではな
く渋谷の自分の家で過ごしていた。
麻美子の母にとっては、隆とは、週末の休日
しか会えないので、今夜は中目黒の家で過ご
してほしかったようだ。
「これから、夜道を走って横浜まで向かうの
も面倒だし、明日の朝でいいか」
「隆が、それで良いなら、私は別にどっちで
も良いけどね」
麻美子は、取ってきた鍵を元あった場所に戻
しながら、隆に返事した。
隆は、麻美子の母親が作ってくれた夕食を食
べた後で、麻美子家の皆とリビングでゆっく
りしているときに、麻美子へ話しかけた。
「別に良いけど」
麻美子は、クローゼットに置いていたエステ
ィマの鍵を取ってきつつ、隆に返事した。
「夜のドライブにでも出掛けちゃおうか」
「何も、こんな真っ暗になってから横浜まで
車を出さなくても良いんじゃないの」
麻美子の母親は、夜中に横浜まで出かけよう
としている2人に声をかけた。
「確かにそうでした」
隆は、麻美子の母親に答えた。
「そういえば、車屋さんで、麻美子って俺の
奥さんとかって呼ばれてなかった?」
「うん。隆と出かけると、いつも言われるこ
とだから一々訂正しなかった」
麻美子は、隆に言った。
「夕食にしましょうか」
麻美子のお母さんが、皆を呼んだ。
「どうせなら、今夜のうちにマリーナに行っ
て、ラッコの船に泊まらないか」
「それじゃ、早速、明日の日曜日は、隆社長
を横浜マリーナまでお送りするために、買い
換えたばかりの自動車で、お家までお迎えに
行きましょうか」
「頼む」
隆は、腕組みをしながら麻美子に答えた。
「社長さん、明日は別に渋谷までお迎えに行
かなくたって、隆さんが空いている弟の部屋
のベッドで泊まっていけば良いじゃないの」
麻美子の母親が、2人の会話に割って入って
言った。
「なんなら、ここから会社に行く時も、この
車で渋谷に立ち寄って、秘書だけじゃなく、
俺の運転手もしてくれないかな」
麻美子は、隆の話を聞いて、思わず吹き出し
てしまっていた。
「隆って、前にも会社で運転手が欲しいって
言っていたものね。うちから渋谷まで東横線
で帰るって話よりも、私に運転手をやってく
れっていう方が話のメインでしょう」
隆の考えていることをズバリと当ててしまっ
ていた麻美子だった。
「お母さんも、お父さんも、もう車の運転し
ないし、ここに置いておくのは別に良いと思
うんだけど、ここから自分の家の渋谷に帰る
とき、隆はどうするのよ」
「俺は、ここからなら中目黒駅から東横線で
帰れるし。麻美子に家まで送ってもらっても
良いし」
隆は、麻美子に提案した。
「麻美子って、うちの会社で俺の秘書をして
くれているじゃない」
「そうね」
「運転しやすい?」
「うん。オートマだし、周りの見晴らしも良
いし、ぜんぜん楽に運転できたよ」
麻美子は、隆に聞かれて返事した。
「あのさ、渋谷の俺のうちのマンションの駐
車場ってけっこう駐車料金高いじゃない」
「そうね」
「この車って、今までの車より屋根高めだし
立体駐車場に入るかどうかもわからないし、
麻美子の家のここのガレージに置いておいた
らダメかな」
「これが座席数もサイズ的にも良いかもよ」
「麻美子が良いなら、俺はなんでもいいよ」
結局、今の隆の車を、その古いエスティマに
買い換えることになった。
隆の乗っていた車は、まだ購入したばかりの
新しい車だったので、その車を売却すると、
古いエスティマが余裕で買えてしまった上に
お釣りまでもらえてしまっていた。
買い換えたばかりのエスティマには、中古車
屋から麻美子の家まで、運転下手の隆でなく
麻美子が運転して帰ってきた。
「この大きさなら、いま乗っている隆の車と
そんな大きさ変わらないよ」
麻美子は、ハンドルを握ってクルクル回しな
がら、窓の外の周りを眺めていた。
「奥様、試乗されてみますか?」
中古車屋の営業マンが、麻美子にエスティマ
の鍵を手渡してくれた。
麻美子は、営業マンから鍵を受け取ると、助
手席に隆を乗せたまま、店の周りの道を一周
してきた。
「見晴らし良くて運転しやすいよ」
「これに乗るの?運転するのに、サイズが大
きすぎないかな」
隆は、一瞬だけ運転席に腰掛けてみてから、
その車のデカい運転席に、運転するのを諦め
たように運転席から降りながら、麻美子に答
えた。
「え、そんなにサイズ大きくないよ」
隆に代わって、麻美子が運転席に腰掛けてハ
ンドルを握りながら言った。
「俺、あんまり自動車の運転って、上手じゃ
ないからな」
たまご型の丸っこい形をした車で、車内には
前、後ろ、中央と3列シートで、ラッコのメ
ンバー全員が乗っても窮屈ではなかった。
麻美子は、そのおとぎ話に出て来るみたいな
丸いかぼちゃの車に、香代ちゃんと瑠璃ちゃ
んが乗っているところを想像して、思わず笑
顔になった。
「これ、どうかな!?」
麻美子は、ハイエースの車内のベンチシート
に寝転がっていた隆のことを大声で呼んだ。
「なんかデカい車だな」
麻美子の家の近所にある中目黒の中古車屋に
着くと、展示場の車を見て、周っていた。
「隆は、どんな車が好きなの?」
「俺は、なんでもいいよ。ヨット以外の乗り
物には、全く興味ないから」
隆は、本当に車には興味がないらしく、麻美
子と一緒に、展示場内の車を物色するのに疲
れてきて、ハイエースの車内に設置されてい
たシートで横になって寝転がっていた。
「ね、この車かわいくない!」
麻美子が、古いエスティマを見つけた。
「それは、隆が来るからって、張り切って料
理を作りすぎるお母さんに文句言ってよね」
麻美子は、駐車場に置いてある隆の車の運転
席に座りながら、隆と話していた。
麻美子が運転席に座っているので、隆は助手
席に座った。
「どんな車に買い換えるの?」
隆は、運転している麻美子に質問した。
「ラッコの皆が乗れるぐらい広い車にしまし
ょうね。6シーターの車とかよくない」
麻美子は運転しながら、隆に言った。
「そろそろ出かけようか」
土曜日、会社が休みの隆は、いつものように
麻美子の母親に誘われて、中目黒の麻美子の
家でお昼ごはんを食べた後、リビングでのん
びり寛いでいた。
「本当に買い換えるのか」
「だって、あの車じゃ、皆が乗れないでしょ
う。買い換えたくないの?」
麻美子は、隆から車の鍵を取ると、ソファか
ら立ち上がった。
「なんかお腹がいっぱいで歩くのつらいよ」
「これじゃ、皆で乗れないでしょう」
麻美子は、隆に言った。
「隆さんの車をどれにするかって、麻美ちゃ
んが決めているんだ」
「そうね、隆ってけっこう買い物下手なとこ
ろがあるからね」
麻美子が答えた。
「だから、こんな薄くて、平べったい車を買
ってしまうのよ」
「なるほどね」
皆は、麻美子の返事に笑っていた。
体が小さく、小柄の香代は、場所がないため
助手席の真ん中、隆の横に腰掛けていた。
普段、隆が運転しているときは、助手席の麻
美子の膝の上にちょっこんと腰掛けていたの
だったが、さすがに隆の膝の上に腰掛けるわ
けにもいかず、助手席の内側に座っていた。
「今度、もう少し皆で乗れるような車に買い
換えようね」
麻美子が運転しながら、言った。
「え、俺はけっこう、この車のこと気に入っ
ているんだけどな」
「今日はレースお疲れ様。来週は普通にクル
ージングしような」
隆は、パーティーが終わった後、車の助手席
に座りながら皆に言った。
麻美子は、運転席に座って、鍵を回して車を
運転していた。
「この車って、外観の見た目は良いんだけど
皆で乗るには、ちょっと狭いよね」
隆の車は、スポーツタイプのクーペ車だ。
2シーターではなく、いちおう後部座席はあ
るが、後部には3人までしか乗れなかった。
「え、俺は、帰りに車の運転があるから」
「大丈夫、大丈夫」
麻美子は、隆がいつも車の鍵を入れている方
のポケットに手を突っ込むと、車の鍵を受け
取っていた。
「え、そうなの。それじゃ、運転はお願いし
ちゃおうかな」
隆は、缶ビールを開けると、陽子の持ってい
る缶ビールに乾杯してから飲み始めていた。
隆は、さっきまで麻美子と雪、瑠璃子がして
いた会話には何も気づいていなかった。
「私は、陽子ちゃんから良い人が見つかるよ
うにって、ブーケ投げてもらおうかな」
麻美子たちがおしゃべりをしているところに
当の隆と陽子が戻ってきた。
「やっと、セイルを片付け終わった。2人だ
けだったから畳むの大変だったよ」
「そう、お疲れ様」
麻美子は、ドラム缶から冷えた缶ビールを出
してくると、隆に手渡した。
陽子は、既に自分の分の缶ビールをしっかり
手にしていた。
「ただ、家が渋谷と中目黒で近いってだけで
うちのお母さんがさ、隆のこと気に入ってて
いつもうちへ食事に呼んでしまうのよね」
麻美子は、2人に話していた。
「そうだよね。それじゃ、もし隆さんと陽子
ちゃんが結婚するってなったらどうする」
「別に良いんじゃないの。2人がお互いに結
婚したいって決めたんだったら」
麻美子は、雪に返答した。
「私も喜んで、2人の結婚式に参加させても
らうわよ。そしたら私」
「確かに。隆って、もしかして陽子ちゃんと
話の波長が合うのかもね」
「心配だね」
「何が?」
麻美子が、雪に聞いた。
「え、別に私たちって付き合っているわけじ
ゃないし、ただの大学の同級生だからね」
「はいはい」
雪と瑠璃子は、ニヤニヤと苦笑していた。
「え、本当だよ。私たちって別に付き合って
いるわけじゃないからね」
瑠璃子は、楽しそうに談笑している2人の姿
を見ながら、口にしていた。
「あの2人って話が合うんだろうね」
「そうなのかな」
瑠璃子は、麻美子に返事した。
「だって、ヨット教室初日でうちのヨットに
来た時から、陽子ちゃんは、何となく隆と話
が合いそうだなって思っていたもの」
「本当だね。もしかして、あの2人って、お
付き合いし始めちゃったりして」
雪は、麻美子に答えた。
2人は、ラッコから下りてくると、パーティ
ー会場に向かってくる途中、会場の隅に置か
れていた飲み物のドラム缶から缶ビールを取
って、バーベキューで焼きそばをもらって食
べながら、楽しそうに談笑していた。
「なんかさ。陽子ちゃんって、ヨットの上で
いつも隆さんと仲良くしてない」
そういう事には、人一倍敏感な瑠璃子が気づ
いて、言った。
「麻美ちゃんいるんだし、言わないの」
「あ、そうだった。ごめん」
まだ21歳の香代のことを、麻美子は、まる
で自分のかわいい妹のように思えていた。
「そういえば、隆さんと陽子ちゃんってどう
したんだろう?まだセイルを片付けているの
かな?」
瑠璃子が呟いた。
「ほらほら、あそこに来ているじゃん」
ラッコの船体から下りてきて、こちらのパー
ティー会場にやって来る2人の姿を見つけて
雪が叫んだ。
「やっと片付け終わったのね」
「私も少しは飲めるんだけど、今日は帰りに
車の運転があるからね」
麻美子は、たぶん隆がパーティーで飲むだろ
うと思ったから、自分はアルコールを控えて
いたのだった。
「香代ちゃんは飲まないの?」
「私、お酒って一度も飲んだことない」
まだ21歳の加代は、2本目のビールを飲ん
でいる瑠璃子に聞かれて答えた。
「お酒なんて飲まない方がいいわよ」
麻美子は、香代に言った。
麻美子は、既に2本目の缶ビールを飲んでい
る瑠璃子に言った。
「麻美ちゃんは、お酒はぜんぜん飲まないん
ですか?」
少し頬を赤くしている瑠璃子が、オレンジジ
ュースを飲んでいる麻美子に聞いた。
「私も、ビールを頂いちゃおう」
麻美子の横に腰掛けていた雪も、1本目の缶
ビールを手にして、飲んでいた。
アルコールを飲んでいないのは、麻美子と香
代の2人だけだった。
「うん、美味しいね。この焼きそば」
雪は、バーベキューで焼かれていた焼きそば
を食べながら、隣の麻美子に話しかけた。
隆と陽子が、乗り終わった後のセイルとか片
付けておくからと言うので、他の皆は、先に
パーティー会場に来て、バーベキューの準備
を手伝っていたのだった。
準備を終えた後、会場で焼かれた焼きそばと
飲み物を先に頂いていた。
「いただきます」
「瑠璃子ちゃんって、けっこう飲めるね」
「隆さん、ビールがあるよ」
陽子は、ドラム缶の中で冷えている缶ビール
を手に取った。
「残念だけど、俺は、帰りに車の運転がある
から飲めないんだ」
「そうだよね、帰りは東京まで運転だよね」
「陽子、飲めるんでしょう。飲みなよ」
隆は、烏龍茶を手にしていた。陽子は、隆に
言われて、缶ビールを頂いた。
「今日はお疲れ様!」
隆と陽子は、2人で乾杯していた。
薪をくべたドラム缶以外に、空きドラム缶に
は氷水が入れられて、缶ジュースや缶ビール
などが冷やされていた。
パーティー参加者たちは、そこから冷たい飲
み物を取って味わっていた。
「もうパーティー始まっているな。俺たちも
飲みに行こう」
隆は、陽子と一緒にラッコのデッキ上でセイ
ルを片付けていたが、ようやくセイルも片付
け終わったし、陽子のことを誘って、ラッコ
から降りると、パーティー会場へ移動した。
本日は、春の第1戦なので、レースが終わっ
た後に、マリーナ敷地内でバーベキューを準
備して、ヨットレース参加者たちが集まりパ
ーティーを開催することになっていた。
ヨットレースに参加した男性クルーたちは、
マリーナ敷地の中央にドラム缶を転がして持
っていき、その中に薪をくべて火を起こす。
女性クルーたちは、クラブハウスから紙皿や
紙コップ、飲み物や食べ物を準備して、薪の
上に鉄板を配置して、その上で焼きそばを焼
くのが定番となっていた。
横浜マリーナでは、春から秋にかけて艇を保
管している会員同士の交流を兼ねて、毎月、
月一でマリーナに保管しているヨット同士で
のクラブレースを開催していた。
毎年、春からシリーズレースとして第1戦か
ら第6戦まで開催されていて、年末に開催さ
れる横浜マリーナのクリスマスパーティーで
総合優勝艇を表彰していた。
クラブレースの開催された日には、春の第1
戦と夏のレース、秋の最終戦だけは、レース
後に、パーティーを開催していた。
「レースって、もっと大変なのかと思ったけ
ど、意外と楽しかったね」
「ウララじゃなくラッコに乗ってたから、楽
だったのかもしれないね」
「あと、陽子ちゃんが何でも全部やってくれ
ちゃってたから」
「陽子ちゃんは優秀よね」
麻美子も頷いた。
隆が保管している横浜マリーナでは、春から
秋にかけて、ほぼ毎月、月一の間隔でクラブ
レースを開催していた。
「お昼にサンドウィッチしか食べていないか
ら、少しお腹が空いてきた」
陽子が言った。
「後で、クラブレース後のパーティーがある
から、そこで何か食べよう」
隆と陽子は、ラッコのセイルを片付けながら
話していた。
「私たち、食器を洗ってくるね」
他のメンバーたちは、サンドウィッチを食べ
終わった食器類を持って、マリーナにあるキ
ッチンへ行って、そこで洗い物をしていた。
ラッコの船体は、いつも載せられているラッ
コの船台上にちょっこんと載せられた。
横浜マリーナでは、ラッコのようにクレーン
で陸上に上げられて、船台に載ってマリーナ
の敷地内で保管されているヨットやボートと
アクエリアスのように、すぐ近くの海面上に
設置されているブイに船を舫って、海上で保
管されているヨットやボートがあった。
「そうなんだ。さっきのアクエリアスは、海
上で係留されているのね」
陽子は、隆から聞いて頷いていた。
「さあ、マリーナに戻ろうか」
ラッコは、横浜の自分たちが停めているマリ
ーナへと戻っていった。
マリーナに戻ると、横浜マリーナのスタッフ
が上下架用の真っ白なクレーンで待っていて
くれて、クラブレースを終えてマリーナに戻
ってきたヨットたちを順番にクレーンで陸上
に引き上げてくれていた。
ラッコの順番がきて、ラッコの船体も横浜マ
リーナスタッフたちの手により操作されてク
レーンで陸上へ引き上げられた。
「うちのヨットは失格なんだってさ」
「でも、あのままアクエリアスのことを見捨
てずに、ちゃんと助けてあげられたのだから
良かったじゃないの」
麻美子は、隆に言った。
「アクエリアスは、隆がラッコに乗る前まで
ずっとお世話になっていたヨットでしょう」
麻美子は、クラブレースで最後までゴールで
きなかったことよりも、失格してしまっても
アクエリアスのことを手助けできたことの方
が満足そうだった。
アクエリアスは、そのままスピンネーカーを
下ろすと、ジブセイルとメインセイルで黄色
のブイまでセーリングしてから、ゴールライ
ンを越えてクラブレースをゴールした。
ゴールしたアクエリアスの後ろを追走してい
たラッコもゴールラインを越えた。
「結局、ラッコはアクエリアスよりも後だか
ら最下位になってしまったね」
雪は、隆に言った。
「いや、ラッコは最下位でもないよ。途中か
らエンジンを掛けているから失格だよ」
アクエリアスのクルーが4、5人でシートを
引いたり出したりしていても、全然解けなか
ったセイルの絡みを、隆は、陽子と2人だけ
でわずか数分で解いてしまっていた。
「これで大丈夫かな」
隆は、陽子と一緒にアクエリアスから自分た
ちのラッコに戻ると、ラッコはアクエリアス
から離れた。
「ありがとう、助かったよ」
中村さんは、アクエリアスの艇上から、ラッ
コの隆へ声をかけた。
「麻美子、ラットを握っていて」
隆は、握っていたラッコのステアリングを麻
美子に託した。
「陽子、俺と一緒に、アクエリアスへ乗り移
って手伝ってくれるか」
隆は、陽子と一緒に、アクエリアス側に乗り
移ると、アクエリアスのクルーからジブとス
ピンのシートを受け取って、陽子と一緒にシ
ートを上手いこと操作しながら、セイルの絡
みを解いてしまった。
「これで絡みは外れたよな」
「エンジンをかけよう」
隆は、陽子に指示すると、陽子はパイロット
ハウスの中に入り、ラッコのエンジンを始動
してきた。
「舫いロープを準備して」
エンジンが掛かると、隆は、ラッコのクルー
たちに指示して、舫いロープを準備させた。
海上でアクエリアスに横付けした。
舫いロープは、船同士を軽く舫うだけにして
クルーたちに船体同士が当たらないように、
手で支えてもらっていた。
「大丈夫ですか?」
ラッコが、ゴールを諦めてアクエリアスの近
くまで戻ってくると、隆は呼びかけた。
ラッコで、アクエリアスのすぐ真横を走りな
がら、ジブシートを緩めろとかスピンのシー
トを緩めろと隆は、アクエリアスの船のクル
ーに向かって指示を飛ばしていた。
隆が指示を飛ばして、その通りにアクエリア
スのクルーたちは、シートを操作しようとし
ているのだが、上手く絡まったセイルを解け
ずにいた。
「陽子はすごいな、もう完全にタックのやり
方を覚えてしまっているじゃん」
隆は、麻美子の方を振り向かないようにしな
がら、陽子に言った。
「どうせUターンするなら、最初から言うこ
と聞きなさいよ」
陽子は、麻美子が隆の頭をコツンと小突いて
いるところを見てしまって、思わず苦笑して
しまっていた。
ラッコは、ゴールとは反対方向のアクエリア
スに向けて走り始めた。
しかし、チラッと麻美子の方へ目を向けると
麻美子の目が、後ろで困っている艇がいると
いうのに、あんたは、ほったらかしにしてゴ
ールを目指すのかというきつい目をして睨ん
でいるように見えた。
「ちょっとUターン、タックして、様子を確
認してくるか」
隆は、すぐ側にいた陽子に言うと、陽子は左
側のウインチにジブシートをセットして、隆
の方向転換に合わせて、ジブセイルの位置を
右から左に入れ替えた。
「いや、アクエリアスは大丈夫だと思うぞ」
隆は、麻美子に言われて、後ろをチラッと振
り向きながら返事した。
「隆。いい加減にしなさいよ!」
中村さんのアクエリアスは、隆が、いま乗っ
ているラッコのヨットを買う前まで、ずっと
クルーとして乗っていたヨットだった。
あともう少しで目の前の黄色ブイを回れるし
そこを回ったら、もうゴールも目前だし、こ
のままアクエリアスの事は、ほっておいてゴ
ールしてしまおうかと考えていた。
絡まり合ってしまっていたアクエリアスのセ
イルは、一向に外れず絡まったままの状態で
ずっと走り続けていた。
隆は、後ろのアクエリアスのことは、ぜんぜ
ん気にせず、ラッコを前へと走らせていた。
「隆、助けに行って上げようよ!」
まったく後ろのアクエリアスのことなど気に
もせずに、自分のラッコがレースでゴールす
る事だけ考えて、前方へ走らせている隆の姿
を見た麻美子は、なんか隆が冷たい奴に見え
てしまい、声が大きくなってしまっていた。
アクエリアスの中村さんは、東京で歯医者さ
んを営んでいる先生で、ヨットでも、麻美子
が舫いロープを結べずにいた頃に、いつも手
助けしてくれていた、とても親切で優しいお
じさんだった。
「ね、助けに行って上げようよ」
後ろを気にして、ずっとアクエリアスの様子
を眺めていた麻美子が、隆に言った。
「大丈夫だよ、気にしなくても」
隆は、後ろは気にすることなく、前を向いて
ラッコを走らせていた。
中村さんのアクエリアスでは、スピンネーカ
ーとジブのせいるが絡み合っていた。
「助けに行ってあげないの?」
「自分たちでなんとかするだろうよ」
隆は麻美子に答えた。
麻美子は、ずっと絡まったままのアクエリア
スのセイルを心配そうに眺めていた。
「助けに行ったほうが良くない?」
アクエリアスの中村さんとも、冬の間、隆と
2人だけで乗っていた時に、何回か沖合いで
会ったことがあった。
ヨットのセイルは、メインセイルもジブセイ
ルも基本的に白色のものが多いのだが、スピ
ンネーカーのセイルだけは、赤やら青やら何
色もの色でカラフルに彩っているセイルが多
かった。
レース後半、帰りのコースは、風向き的に追
っ手、船の後ろから吹いてくる風だったため
中村さんのアクエリアスでは、スピンネーカ
ーを上げたのだろう。
そして、スピンネーカーがジブセイルのシー
トと絡みあってしまっていた。
「もうゴールしちゃったんだ」
「速いよね」
隆や陽子たちが、ゴールしたウララの艇を眺
めて、話していた時に、
「あらら、なんかスピンが絡まっているよ」
ゴールとは、反対方向の後ろを眺めていた麻
美子が指差しながら叫んだ。
スピンとは、追い風の際に上げてヨットを走
らせるセイルのことで、正確にはスピンネー
カーと呼ばれるふっくらと丸い形をしたセイ
ルのことだった。
ようやく赤ブイに到達して、ブイを回ってU
ターンして復路に入ったラッコが、ゴールへ
向けて走っていると、ゴールラインで待って
いた地井さんのモーターボートからラッコの
ところにも、
フォーーーン!
と微かにホーンの鳴る音が聞こえてきた。
「お、レース艇のウララがゴールしたな」
「さっき、すれ違った船でしょう、速いね」
隆は、ラッコのステアリングを握りながら、
聞こえてきたホーンの音に反応していた。
ラッコのクルーたちは、すれ違うウララの艇
上で、必死にウインチを回している男性クル
ーたちを眺めて、呟いていた。
「な、レース艇は大変だろう」
隆が、陽子に言った。
「だから、男性の生徒は、ウララとかに振り
分けられて、私たち女性がラッコに振り分け
られたのね」
「わかるだろう、うちのヨットに女性しか振
り分けられなかった理由が」
陽子は、隆に頷いていた。
「まだレースは、終わっていないぞ」
ウララの松浦オーナーは、ラッコの方を見て
笑っていた。
ウララのクルーたちは、まだクラブレースの
真っ最中で、お昼ごはんのサンドウィッチど
ころではなかった。
ウインチにジブシートを巻きつけて、ウイン
チハンドルを回して、引っ張ったり出したり
とセイルトリムに大忙しだった。
「なんか大変そうなヨット」
「力が無いと乗れないヨットなのね」
「サンドウィッチあるわよ」
もうとっくの昔に、クラブレースの順位など
諦めているラッコのデッキ上では、ピクニッ
クテーブルを広げて、麻美子の作ってきたサ
ンドウィッチをお皿にだし、ランチパーティ
ーの真っ最中だった。
「お帰りなさい!」
隆たちラッコのクルーたちは、復路のコース
を戻って来て、すれ違ったウララのクルーた
ちに、サンドウィッチ片手に笑顔で手を大き
く手を振って挨拶していた。
結局、クラブレースでのラッコの順位は、後
ろに中村さんのアクエリアス、ラッコと同じ
パイロットハウスの付いた重たいクルージン
グ艇を1艇従えての堂々と最後尾、ブービー
でゴールすることになりそうだった。
「麻美子、お昼ごはんにしようか」
まだ、ラッコは一番先にある赤ブイまでも到
達していないというのに、一番先頭を走って
いたウララは、既に赤ブイを回ってUターン
して、復路のコースをゴールへ向かって走っ
て戻ってきていた。
「それは仕方ないよ」
隆は、麻美子たちに答えた。
「ウララとかは、レースで速く走るために、
うちのヨットみたいな重たい家具を船内から
排除して、軽い内装にして作られているのだ
から」
隆は言った。
「うちのヨットとは違って、ともかく速く風
で走れるようにするために、コストをかけて
作られているヨットだからね」
「ヨットって、それぞれ造りが違うのね」
「それは無理だよ。うちのラッコは、船内に
フィンランドの木材が多量に使われていて、
他のヨットよりも遥かに重たいヨットなんだ
から」
隆は、あっという間に最後尾に追いやられて
しまって、残念そうな顔をしているクルーた
ちに言った。
「ラッコの後ろって、もう中村さんのアクエ
リアス1艇しかいなくなっちゃったね」
麻美子は、ラッコの後ろを振り返って、確認
しながら言った。
しかし、しばらく走っていると、ウララがラ
ッコに近づいてきて、そのまま、ラッコのこ
とを追い抜いて行ってしまった。
ウララだけではなかった。
他のヨットたちも、どんどんラッコに追いつ
いてくると、次々と追い抜かれていき、気づ
くと一番最後尾から2番目を走っていた。
「せっかく1番だったのに、どんどん追い抜
かれちゃったよ」
「せっかく1番だったのに、なんか皆に追い
抜かれてしまったよ」
それでも、ヨット歴だけは長かったのとジュ
ニアヨット教室時代は、他のヨット教室の生
徒たちとレース練習ではよく競い合って乗っ
ていたため、ヨットレースの技術は持ち合わ
せていた。
「ね、もしかして、このレースってラッコが
一番で走っている?」
瑠璃子が、隆に聞いた。
ラッコのクルーたちは、自分たちラッコのヨ
ットが、他のヨットよりも1番先頭で走って
いることに気づいて、口々に話していた。
隆は、地井さんのモーターボートから鳴った
スタートの合図を知らせるホーンと同時に、
どのヨットよりも早く一番でスタートライン
を越えて、スタートしていた。
隆のヨット歴は長く、隆が中1の時に、ここ
の横浜マリーナで開催されているジュニアヨ
ット教室に参加していた頃まで溯る。
隆は、ジュニアヨット教室ではレース練習も
していたが、ヨットレースはあまり好きでは
なく、ヨットの乗り方は常にクルージング派
のセーラーだった。
地井さんの27フィートのモーターボートが
今日のクラブレースのコミッティ艇を務めて
くれていた。
コミッティ艇上では、10分前、5分前に旗
を掲揚してくれて、その旗でレースのスター
ト時間がわかるようになっていた。
そして、スタートとともに掲揚していた旗を
下ろして、レースはスタートした。
「うちの船は、このまま風下側のブイからス
タートしよう!よし、スタートラインぴった
りでスタートできたぞ!」
「クラブレースのコースってわかったの?」
隆は、ラッコのステアリングを操船しながら
麻美子に質問した。
「金沢沖の赤ブイを反時計回りで回って」
「そうね」
「で、沖合いの黄色ブイを時計回りに回る」
「確か、そうだったわね」
「それで戻ってきたら、そのままゴール」
隆に質問されて、麻美子は相槌ちを打ってい
るだけで、陽子が隆に詳しく説明していた。
「麻美子は、全然わかっていないんだ」
艇長会議を終えてラッコに戻る道すがら、麻
美子は陽子に聞いた。
「私も、ヨットレースなんて初めてだし、よ
区わからないこともあったけど、大体は前後
の文脈で想像がついたかな」
陽子は、麻美子に答えた。
はあ、この子ってすごい、あの一瞬の会議で
そこまで理解できちゃうんだと陽子に脱帽し
てしまった麻美子だった。
「私は歳かな、全然理解できなかったわ」
麻美子は、陽子に苦笑してみせた。
「最初は半時計回りで回るけれども、次のブ
イは時計回りで回るのですね」
陽子は、松浦オーナーの説明する内容を理解
して、松浦オーナーにちゃんと確認も取って
いた。
「すごいな、陽子ちゃん」
麻美子は、自分が全く理解できていないヨッ
トレースの説明をしっかり把握している陽子
に感心していた。
「松浦さんの話していることを、よく理解で
きていたわね」
横浜マリーナでクラブハウスを開催するとき
は大概、ヨットレースに一番詳しいウララが
陣頭指揮を取ることが多かった。
「本日のクラブレースのコースですが」
松浦オーナーが、クラブレースの開始時間や
コースなどについて、今日のクラブレースに
参加するヨットオーナー達に説明していた。
「なんか説明が難しいな」
説明の中に、ヨットレースの専門用語が多く
出てきて、麻美子には話の内容がほぼ理解で
きないでいた。
「2人が参加してる間に、うちらは出航準備
しておくよ」
クラブハウス
「それじゃ、艇長会議を始めます!」
ウララの松浦オーナーが、艇長会議の進行役
を買ってでていた。
うちの横浜マリーナでは、本格的にヨットレ
ースをやっているヨットといえば、松浦オー
ナーのウララぐらいしかいなかった。
ウララが、ヨットレースに関してはマリーナ
で一番詳しいヨットだった。
「9時からクラブハウスでクラブレースの艇
長会議だってさ」
麻美子は、マリーナ事務所で聞いてきたこと
を隆に報告した。
「じゃ、麻美子が艇長会議に出て来てよ」
「え、私が?無理だよ、私ってラッコの艇長
じゃないし」
「大丈夫。陽子が頭いいから、陽子と一緒に
艇長会議に出て話を聞いてきなよ」
麻美子は、隆に言われて、陽子と一緒にクラ
ブハウスで始まる艇長会議に出席した。
「今週は、クラブレースがあるから参加して
みようか」
隆は、ラッコのメンバー皆に提案した。
「まだまだヨット初心者で、レースなんて出
場できるまで上達できていないよ」
「大丈夫だよ。うちの横浜のマリーナのクラ
ブレースは、本格的なレースではなくて、う
ちのマリーナに保管されているヨットだけの
内輪なクラブレースだから」
隆は、不安そうな瑠璃子に説明した。
「それならば大丈夫かな」
「伊豆七島って、どこらへんまで行くの?」
「そうだな。まだはっきりとは決めていない
けど、大島、新島、式根島ぐらいまでは行き
たいとは、思っている」
隆は、陽子に答えた。
「新島って、夏はすごい人気みたいよね」
「そうなの?」
「うん、なんか高校生とかが多くて、原宿み
たいな店がたくさん出店されるらしいわよ」
「ええ、なんか楽しそう」
瑠璃子が言った。
「伊豆七島まで、このヨットで行けるの?」
「伊豆七島ぐらいは楽に行けるさ。このヨッ
トならば、行こうと思ったら、伊豆七島どこ
ろか世界中どこへだって行けるさ」
隆は、瑠璃子に答えた。
「それじゃ、今から夏休みに向けて会社の
を貯めておかなくちゃ」
瑠璃子が言った。
「私、会社の有給休暇は使わずじまいで、け
っこう貯まっているから大丈夫」
年齢的にも勤続年数の長い雪が言った。
麻美子は、陽子と笑っていた。
「海で魚とか釣れたら、魚を野菜と一緒にオ
ーブンで焼くのも簡単で良いかも」
陽子が、麻美子に料理を提案した。
「夏になったら、1週間ぐらい使って、伊豆
七島にクルージングしに行くから、その時、
海に釣竿を垂らして、魚を釣ろう」
隆が、陽子に言った。
「そしたら、その魚をオーブンで料理したら
美味しく食べれると思うわ」
陽子は、隆に話していた。
陽子は、自分が焼いたミートパイの味を、皆
が褒めてくれるので、嬉しそうだった。
「オーブンって、こういう使い方するものな
んだね。私も、ラッコにオーブンが付いてい
るのは知っていたけど、どういう風にどんな
料理を作ったら良いかわからなかった」
麻美子は、陽子に言った。
「このヨットって、海外製なのよね。たぶん
ヨーロッパとかだと、オーブン料理ってメイ
ンになるから付いているんだと思う」
「なるほどね、隆には宝の持ち腐れね」
ラッコのキッチン、ギャレーには、せっかく
立派な調理設備が一式揃った台所が完備して
いるというのに、それらを、麻美子が使うこ
とは、全くなかった。
家で作って、タッパーに入れて持って来たも
のを、せいぜい温めるぐらいだった。
「ラザニアと一緒にミートパイも焼いたよ」
陽子は、ラッコのギャレーに付いているガス
オーブンを使ってパイを焼いていた。
「先週、ここのガスコンロの下にオーブンが
付いていたから、焼いてみたくなったの」
隆たち横浜マリーナに停泊しているヨットた
ちは、お昼の時間になると、よくここの貯木
場にヨットを停泊して、皆でキャビンの中で
お昼ごはんを料理して、船で飲んだり食べた
りしていた。
「本当に、今日は豪華な料理だな」
隆は、改めてメインサロンのテーブルの上に
並べられた料理に感嘆していた。
これまでのラッコのお昼ごはんといえば、麻
美子が自宅で作ってきたタッパーに入った料
理をお皿に盛り付けるだけだった。
横浜ベイサイドマリーナに生まれ変わってか
らは、お昼を食べようと、マリーナ内のポン
ツーンにヨットやボートを停泊すると、マリ
ーナ事務所に停泊料を払う必要があった。
「舫いロープを取りますよ」
が、横浜ベイサイドマリーナが完成する前の
貯木場だった頃は、横浜マリーナに停泊して
いる隆たちのヨットが、お昼休憩で貯木場内
に出入りして、そこに置かれているイルカの
プールにヨットを停めようが、誰にも停泊料
なんか支払う必要が無かった。
ラッコがイルカのプールに横付けしてから、
しばらくすると同じ横浜マリーナにヨット
を保管している仲間のヨットたちも、次々
とやって来て、イルカのプールに横付けし
ていた。
ちなみにイルカのプールが置かれている貯木
場は、横浜の金沢区にある周りを岸壁で囲ま
れた港内で、この場所が後に、横浜ベイサイ
ドマリーナというアウトレットモールも併設
された巨大なヨットハーバーに生まれ変わる
こととなるのだった。
お昼の時間、ラッコは、いつも貯木場に置か
れている元横浜博覧会のイルカのプールに横
付けしていた。
ラッコがイルカのプールに横付けし終わると
キャビンの中では、パイロットハウスの一段
下にあるキッチン、ギャレーに女性クルーた
ちが皆集まり、お昼ごはんを作り始めたのだ
った。
「さあ、お昼ごはんを作りましょう」
ちなみにラッコとは、隆が所有しているセー
リングクルーザーの船名だ。
今日のお昼ごはんは豪華だった。
「ただのパスタじゃないんだ、ラザニアまで
付いているの」
隆は、ラッコのメインサロンのテーブルに並
べられた料理を見て驚いていた。
「今日のお昼は、私が作ったんじゃないよ」
「麻美子の作った料理じゃないってことは、
一目で見てわかった」
隆は、麻美子に言った。
「だって、いつもより豪華だもの」
「それは、どういう意味かな」
「麻美子とは別に付き合ってはいないよ」
「ほら、なんか大学生の頃から相性が良かっ
たんで、いつも一緒にいただけなのよ」
麻美子は、皆に答えていた。
「ふーーん」
瑠璃子が言うと、皆も、ふーんって感じで頷
いているのだった。
「それじゃ、貯木場に船を入れて、お昼ごは
んにしようか」
隆は、ヨットを貯木場に入港させた。
「セイルも下ろすよ」
クルージングヨット教室の一環で、ヨットに
乗りに来ているというのに、ヨットの操船方
法の説明の時も、このぐらいは盛り上がって
くれよと隆は思っていた。
「でも、隆さんとお付き合いはしているので
すよね?」
「私たちって、お付き合いなんかしていたこ
とあったっけ?」
麻美子は、隆に聞いてみた。
「ないない」
隆は、首を大きく横に振った。
「それって、ひとつ屋根の下じゃない」
「もう夫婦みたいなものじゃないですか」
皆は、隆と麻美子の話で、デッキ上で大いに
盛り上がっていた。
さっきまで隆がヨットの操船方法について説
明していたときは、こんなには盛り上がるこ
となど全く無かったのに、盛り上がり方が雲
泥の差だった。
「やっぱ、もう2人は夫婦っすね」
「確かに!ぜったいそうだね」
皆は、そう結論づけていた。
隆は、陽子に答えていた。
「うちのお父さんが輸出入の貿易商で日本と
サンフランシスコに拠点があって、今は弟が
サンフランシスコの事務所に赴任しているか
ら、弟のいた部屋が余っているのよ」
麻美子がつけ加えた。
「それで、あまり夜が遅くなると、麻美子の
弟の部屋に泊めさせてもらってるの」
隆が、皆に言った。
「ただ、それだけの事なんだよ」
隆が付け加えた。
「麻美子さんって中目黒に住んでいるの?」
「隆さんと麻美子さんって、同じ会社で働い
ているんですよね」
皆は、隆と麻美子へ質問攻めになった。
「隆さんって、いつも会社の仕事が終わると
麻美子さんの家に行って、夕食を食べている
んですか」
「麻美子のお母さんがすごく料理上手の人で
さ、田舎から都会に出てきて一人暮らしして
いる俺の栄養とか食べるもののことを心配し
てくれて、作ってくれてしまうんだよ」
の」
麻美子が陽子に答えた。
「ええ、麻美子さんって、ぜったい隆さんの
奥さんだと思っていた!」
「口げんかの仕方とか、話し方とか完全に夫
婦の会話だったものね」
ラッコの女性たちは、コクピットで口々に話
し始めた。皆、さっきまでのヨットの操船方
法の話をしているときとは明らかに違うテン
ションで、楽しそうに隆と麻美子の話で盛り
上がっていた。
「夫婦げんかはしないでください」
陽子は、麻美子と隆のことをなだめていた。
「夫婦?」
「だって、まるで奥さんなんだもの」
陽子は、ラットを握っている隆の横の空いて
いる場所に腰掛けながら、隆に言った。
「え、勘弁してよ。麻美子は、別に奥さんじ
ゃないよ。ただの大学時代の同級生」
隆は、陽子に答えた。
「え、結婚していないんですか?」
「していないわよ。夫婦でもなんでもないも
コクピットに戻ってきた麻美子に、隆が注意
していた。
「ロープがだめで、ヒモがだめならば、一体
なんて呼んだらいいのよ」
「シート。ヨットでは、ロープのことはシー
トと呼ぶようにしよう」
「シート?なんか腰掛けたくなってしまうよ
うな名前なんだけど」
麻美子は、コクピットの座席に腰掛けながら
隆に言い返していた。
「めちゃ夫婦漫才なんだけど」
皆よりも少しだけヨットの乗船経験がある麻
美子が皆に指示を出していた。
「麻美子も、ヨットではロープっていう言い
方は辞めようか」
コクピットで、操船用のステアリング、ラッ
トを握りながら、隆は麻美子に注意した。
「そっちの赤いヒモを引っ張ってくれる。陽
子ちゃんは青いほうのヒモを引いて」
隆がロープと呼ぶなというので、麻美子はロ
ープのことをヒモと呼んでいた。
「ヒモって呼び方もおかしくないかい」
今回は、以前のように、ゆみと良明が廊下を
追いかけっこすることもなかった。
「あ、猫!」
玄関に入ると、2匹の猫が2人のことを出迎
えてくれていた。
良明とは、面識があるらしく、灰色の猫の方
が良明に撫でられようと近寄ってきた。
「かわいい猫」
ゆみは、もう1匹いる白い猫の方を撫で
てあげようとしゃがんだ。
「ほら、こっちにおいで」
ゆり子先生とゆみは、良明が開けておいてく
れたエレベーターの中へ一緒に乗りこんだ。
「本当に5階であっているの?」
ゆみは、前に良明の家へ行った時に、エレベ
ーターで追いかけっこした時のことを思い出
して、良明に確認した。
「あっているわよ」
ゆり子先生は、ゆみに答えた。
「はい、着きましたよ」
ゆり子先生は、5階で降りると、目の前のド
アの鍵を開けた。
「良明君だって1回しか来たことないのに」
ゆり子先生は呟いた。
「中に入ってしまったよ」
「あそこが先生の家だからね」
ゆり子先生は、ゆみに言った。
「良明君って、先生の家を覚えているんだ」
「ついこの間、遊びに来たばかりだからね」
ゆり子先生は、ゆみと話していた。
「はい、ありがとう」
ゆり子先生は、エレベーターのドアを開けて
待っていた良明にお礼を言った。
「さあ、次の駅で降りるわよ」
ゆり子先生は、2人を連れて電車を降りた。
「先生の家って、この駅から近いの?」
「うん、駅を降りたらすぐよ」
ゆり子先生は、電車を降りると、階段を上が
って地上に出た。地上に出ると、良明は、先
生の手を離して、2人のずっと前、先頭を走
っていき、アパートメントのエントランスか
ら中に入ってしまった。
「よく覚えているわね」
ゆり子先生は、良明の記憶力に感心した。
「ほら、おもしろいでしょう」
中山先生は、2人に電車が線路を走っていく
姿を窓から見せてあげていた。
良明は、嬉しそうに電車が進んでいく線路を
眺めていた。
「ほら、これから地下に入るからね」
中山先生が言うと、今まで地上の高架橋の上
を走っていた地下鉄が、マンハッタンに入る
手前から地下のトンネルの中へと突入してい
ったのだった。
「周りが真っ暗になった」
「地下鉄の中では静かにしましょうね」
その前から大人のゆり子先生の手を握ってい
たゆみのことを、さすがニューヨークの地下
鉄の危険性を理解していると感心して眺める
ゆり子先生だった。
「お行儀よくしなきゃだめよ」
ゆり子先生は、2人に告げると、やって来た
電車に乗りこんだ。
「一番前に乗りましょうか」
ゆり子先生は、2人を連れて、電車の先頭車
両、一番前に連れていった。