「はい、スタート!」
タイムを取っていた瑠璃子は大声で叫んだ。
それに合わせて、棒を持ち上げていた陽子が
デッキ上に棒を下ろした。
スタートライン周辺にいたヨットたちは、瑠
璃子のスタートの号砲で一斉に飛び出した。
「さあ、レースが始まったぞ」
隆は、瑠璃子に言った。
「プロントのペナルティ点数っていくつ?」
「知らん、松浦さんに後で聞いてみな」
「はい、スタート!」
タイムを取っていた瑠璃子は大声で叫んだ。
それに合わせて、棒を持ち上げていた陽子が
デッキ上に棒を下ろした。
スタートライン周辺にいたヨットたちは、瑠
璃子のスタートの号砲で一斉に飛び出した。
「さあ、レースが始まったぞ」
隆は、瑠璃子に言った。
「プロントのペナルティ点数っていくつ?」
「知らん、松浦さんに後で聞いてみな」
「ですね、気をつけます」
うららのヘルムを握っている水沼くんが、松
浦さんに返事した。
「でも、おもしろいだろう」
「そうですね、クラブレースでも本格的にペ
ナルティを取ってもらえれば、こちらもレー
スとしても楽しめますね」
水沼くんが、松浦さんに答えた。
「良いコミッティーだ」
「毎回、あの船がコミッティーで良いな」
「プロントにペナルティ取って、風神にはペ
ナルティ取らなかっただろう」
松浦さんは、自分のクルーに伝えた。
「そうですね」
「レース艇とクルージング艇で、ペナルティ
の判断分けたんですかね」
クルーは、松浦さんに返事した。
「そうか」
「うちも、草レースだからって、ルールを軽
くみてると、ペナルティ取られてしまうぞ」
銀色の船体に、風神雷神のイラストが大きく
書かれている33フィートの風神は、いつも
お父さんと息子の家族だけで、のんびりデー
セーリングしているヨットだった。
「うららとかのレース艇ならともかく、あの
ヨットにまで、こんな本格的なペナルティを
取るのは、流石にかわいそうすぎるだろう」
風神は免除してもらえていた。
「ナイスな判断だな」
松浦さんは、レース状況を把握していた。
瑠璃子は、プロントとは反対側のスタートラ
イン上を越えて走っている風神の姿も確認し
て、隆に聞いた。
「風神は、まあペナルティにしなくても良い
んじゃないかな」
隆は、瑠璃子に答えた。
「そうなの?」
「ああ、東京湾レガッタとか本格的なレース
ならばともかく、これは横浜マリーナ主催の
内輪だけのクラブレースだからね」
「ああ、今日のコミッティのラッコは、隆く
んが乗っているからね。彼は、ヨットレース
のルールもちゃんと把握しているから、しっ
かりペナルティも取ってくるさ」
うららの松浦さんは、隆の判定に満足そうに
頷いていた。
「これが、ラッコにコミッティーをお願いし
た理由だよ」
松浦さんは呟いていた。
「それじゃ、風神もペナルティだよね」
「え、プロントがペナルティ取られた」
うららの艇上では、うららのクルーが瑠璃子
の笛の音に反応していた。
「あれだけラインを越えていれば、ペナルテ
ィも取られるだろう」
松浦さんもペナルティに気づいて、自分のと
ころのクルーに返事していた。
「これ、マリーナの内輪のクラブレースなの
にペナルティちゃんと取られるんですね」
うららのクルーが驚いていた。
「うん、越えているね」
瑠璃子が、隆に頷いた。
「その時は、笛をピーーって強めに吹いて、
プロントさんはペナルティだよっていうのを
教えてやるんだ」
隆に言われて、瑠璃子はプロントに向かって
笛を強めに吹いた。
瑠璃子の吹いた強めの笛の音は、プロントだ
けではなく、周りの他のヨットにも、当然聞
こえていた。
レース時間の記録を取るために、ストップウ
ォッチを持っていた瑠璃子が、隆から笛を受
け取った。
「ヨットレースには、時間になったらスター
トラインを越えていてはいけないってルール
があってさ、今あっちを走っているプロント
いるだろう」
隆は、スタートラインの向こうにいる白いヨ
ットを指差した。
「あれは、越えてしまっているだろう」
麻美子は、ラットを握っている香代の姿を眺
めて感心していた。
「もう麻美子よりも、香代の方がぜんぜん上
手くなっているよ」
隆は、麻美子に言った。
「そうかもね」
麻美子は、隆に頷いた。
「10分前になったら誰がこの笛を吹く?」
「私が吹こうか」
瑠璃子が、隆に返事した。
隆が言った。
香代は、握っていたラットを、隆に代わって
もらおうとした。
「いや、おまえがラットを取って、アンカー
も打ってみな」
隆は、アンカーを打つタイミングを香代に説
明して、香代が自分自身の手でアンカーのス
イッチを操作し海上にアンカーを落とした。
「香代ちゃん、どんどんヨットが上達してい
るよね」
「それじゃ、私が棒を持って、旗振り担当を
やるわ」
レース海域にたどり着いて、ラッコはスター
トライン上でエンジンを停止した。
陽子は、旗が両端に付いている棒を持って、
フォアデッキに行くとスタンバイした。
「香代、このままじゃ、ラッコが海の潮に流
されてしまうから、エンジン停止しても流さ
れないように、船首のアンカーをしっかり打
っておこうか」
「要するに、この修正時間をこっちのレーテ
ィングで割っているわけね」
仕事上、経理が得意な瑠璃子は、前回のクラ
ブレースの時の計算結果が書かれている用紙
を確認して、修正時間の計算方法を隆よりも
しっかり理解してしまっていた。
「なるほど、そういうことだね」
会社で経理部長を兼任している麻美子も、瑠
璃子からの説明ですぐ理解した。
「これは、もう記録係は瑠璃ちゃんだね」
に遅いヨットはハンディキャップをもらえる
のがレーティング制度だった。
「俺も、細かい計算方法はよくわからないけ
ど、ここのところに書かれている数字が、そ
のヨットのレーティングで、このレーティン
グを今回のレースで掛かったレーシング時間
にかけて引かれた時間が、そのヨットの修正
タイムになるんだ」
計算の苦手な隆の説明は、最後の方は、だい
ぶあやふやにしか説明できていなかった。
横浜マリーナのクラブレースに参加するヨッ
トは、ラッコのようにクルージング時に快適
に暮らせるようにキャビンが豪華で重たいヨ
ットもあれば、うららのようなトイレがバケ
ツ1個という走るためだけに軽く作られてい
るヨットもあった。
ヨットがそれぞれ皆違うので、ヨットレース
にはレーティングという制度があった。
ゴルフのハンディキャップみたいなもので、
速いヨットと遅いヨットで平等に走れるよう
マリーナ職員にクレーンでラッコを下ろして
もらうのを待っていると、すれ違った松浦さ
んにお願いされてしまった隆だった。
「コミッティーボートって責任重大だよ」
隆は、麻美子に言った。
「きちんと時間を記録して、その時間でレー
ティングとか修正して各艇のレーシング時間
を記録して上げることで、その船のレース成
績が決まってしまうのだから」
隆が説明した。
「いずれにしても、コミッティーボートをや
るのだったら、早く海上に船を下ろしてもら
って出かけなければ、コミッティーボートが
遅刻するわけにはいかない」
皆は、テーブルの上のお茶菓子を片付けると
出航するために船から下りて、マリーナの職
員さんにラッコをクレーンで海上に下ろして
もらえるようにお願いした。
「おはよう、隆くん。今日はよろしくね」
隆は、松浦さんに声をかけられた。
「なるほど」
麻美子は、隆から実演入りで説明を受けて、
納得できていた。
「それじゃ、棒を持つ人と笛を持つ人の2人
担当がいるわね」
「あと、スタート時間とゴール時間を紙に記
録する記録係も必要だよ」
隆が麻美子の話に付け加えた。
「けっこう大変な作業だよ」
隆は、麻美子に言った。
「で、レーススタート5分前になったら、こ
の棒の反対側に付いている旗が5分前の旗だ
から、棒を反転させて今度は5分前の旗を上
に上げる」
隆は、棒をくるりと反対にして見せた。
「それで、スタート時間が来たら、瑠璃子の
その笛をピーーーって吹いて、この棒を両サ
イドとも下に下げる」
隆が説明した。
「これでスタートの合図になるんだ」
「松浦さんが細かい使い方は、隆が知ってい
るって言っていたけど」
「貸してごらん」
隆は、麻美子から棒を受け取ると、棒の片端
に付いている旗を上にあげてみせた。
「この旗がレーススタート10分前の旗だか
ら、瑠璃子の持っているその笛をスタート1
0分前になったら鳴らして、こういう風に旗
を上げるの」
隆は、皆の前で実演してみせた。
「コミッティーなんて麻美子にできるの?」
隆は、麻美子に聞いた。
「できるわよ、松浦さんに、やり方をしっか
り聞いてきたから」
麻美子は、手に持ってきた棒の両端に旗が付
いているものを皆に見せた。
「この棒をね、レースのスタート時刻に合わ
せて上に上げたり下げたりするのよ」
麻美子の説明では、皆どう使うのかいまいち
理解できないでいた。
「松浦さんに呼ばれて、一緒にクラブレース
の艇長会議に参加していたのよ」
麻美子は、うららの松浦さんに呼ばれて、ク
ラブハウスであったことを話した。
「どうせ、隆くんのことだから、ラッコの船
じゃレースに出ても走らないからって不参加
でしょうって見抜かれていたわよ」
「まあ、見抜かれるだろうね」
「それだから、代わりにラッコはコミッティ
ーボートをやってくれって頼まれたの」
「おはよう!」
大きな声とともに、麻美子がようやくラッコ
のキャビンに戻ってきた。
「早く出航しないと間に合わなくなるわよ」
麻美子は、のんびりお喋りをして、お茶を飲
んでいる皆に言った。
「うちらは、クレブレースには出ないよ」
「わかってる。だから代わりにコミッティー
をやることになったのよ」
麻美子は、隆に説明した。
お喋りが得意で宴会などでの賑やかし派の瑠
璃子が、陽子より先に隆へ返事していた。
「私も、レースは別にどっちでも良いかも」
陽子も答えた。
「今日は、8月の終わりのレースだし、レー
ス終わってからパーティーあるし」
「パーティーだけの参加でも良いよね」
もうすっかりクラブレースのことは忘れて、
キャビン内でお茶を飲んでお喋りしながら、
麻美子が戻ってくるのを待っていた。
「このヨットで走っても、どうせ重くてビリ
か後ろの方でしかゴールできないよ」
隆は、陽子に伝えた。
「なんだ、レースに出ないんだ」
「出ると思って、出航準備していたのに」
陽子が、隆に言った。
「陽子は参加したかったか?陽子が参加した
いのなら、参加しても良いけど」
「私は、レースは別に出なくても良いかな」
スポーツ派と言うよりも、どっちかというと
麻美子が戻ってくるのが遅いので、皆のキャ
ビンでのお喋りは長く続いていた。
「早く出航しないと、レースに間に合わなく
なってしまうかな?」
香代が、隆に聞いた。
「まあ、レースは参加しないから、別に良い
んだけどな」
「え、レースに参加しないの?」
陽子が、隆に聞いた。
「このヨットじゃレースなんかできないよ」
「なんか、麻美子が来るの遅くないか」
出航準備は既に終わっていたので、キャビン
の中で、皆とお茶を飲んでいた隆が言った。
「本当だね。駐車場に車を入れに行っただけ
なんでしょう」
「そのはずなんだけど」
隆は、陽子に答えた。
「どこかで事故でも起こしてないかな」
「まあ、事故っていたら、電話とか掛けてく
るんじゃないかとは思うけど」
「まあ、そうだろうな。あのヨットじゃ、参
加してもレースでは重くて勝てないものな」
松浦さんは、麻美子に返事した。
「それでさ、レースに参加しないのならば、
ラッコさんには、お願いしたいことがあるん
だけどな」
「なんですか?」
麻美子は、松浦さんに頼まれて、一緒にクラ
ブハウスの2階へと上がっていった。
「うちのヨットで、お役に立てるのかしら」
陽子は、隆が喜んで褒めてくれる姿が見たく
て、皆を誘ってヨットの出航準備を済ませて
おいたのだった。
「おはよう、3戦目のレースの日だけど、ラ
ッコさんは参加するの?」
麻美子が駐車場に車を置いて、マリーナに歩
いて戻って来ると、すれ違ったうららオーナ
ーの松浦さんに声をかけられた。
「どうだろう?うちの船長は、レースには参
加しないとか言っていたけど」
「え、もう準備できているんだ」
隆は、ラッコのデッキに上がると、もう出航
準備が整っているのを確認して驚いていた。
「艇長、いつでも出航できますよ」
雪が隆に報告した。
「すごいな。もう俺がいなくても、出航の用
意ぐらい出来てしまえるようになったんだ」
隆が皆の成長を喜んでくれている姿を見て、
陽子も内心喜んでいた。
「もう、いつでも遅刻してきて大丈夫よ」