軽井沢テレワークライフ

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沿革

企業概要

弊社の主な取引は、日本の中古車マーケット市場に在る中古車を、海外の中古車バイヤーたちに販売する業務です。海外販売のために仕入れた中古車は、海外の中古車バイヤーの元へ輸送、輸出して納車まで致します。

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それに加え、弊社代表の今井祥恵、そして彼女の妹ゆみで弊社WEBデザイナーでもあるプリンセスゆみの意向により、これから車の海外販売を本格的に始めたい方々のために「車の海外販売ネットショップ」の制作、提供することで、彼らの車の海外販売業務のバックアップ、後方支援も承っていくようになります。

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プリンセストレーディングは、これまで同様に日本の中古車マーケット市場に在る中古車を、海外の中古車バイヤーたちに販売する業務を行いつつ、代表の妹であるプリンセスゆみが、これから車の海外販売を本格的に始めたい方々のバックアップ、後方支援に努めていくこととなります。

今後とも、弊社プリンセストレーディングとプリンセスゆみのWEB活動への尚いっそうのご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申上げます。

沿革

今井ゆみは、東京世田谷区の東松原で歯科医を開業している父のもとで生まれました。

正しくは、出産でアメリカはニューヨークの実家に一時帰省していた母が、ニュージャージー州の病院で今井ゆみのことを出産しました。

アメリカで生まれた今井ゆみは、日本の国籍だけでなくアメリカの国籍も保有していました。

生まれたばかりの今井ゆみは、未熟児でしばらく病院のお世話になっていました。その後、病院を退院して母の実家、祖父母の家で小学校入学前までずっと暮らしていました。

身体が弱かった今井ゆみは、出産後すぐには飛行機に搭乗することが出来なかったのでした。

いま考えると、小学校以降も日本に帰国することなく、ずっとアメリカで暮らしたかったなと思います。そんな思いから小説『ニューヨーク恋物語』は誕生しました。

小学校前に、ようやく飛行機へ搭乗できるまでに体力が回復したため、今井ゆみは母と一緒に日本へ帰国しました。

日本へ帰国した今井ゆみは、そこで初めて父と姉の今井祥恵と実際に出会うことができました。それまでは、父とも姉の祥恵ともパソコンを通じてリモートでしか会ったことがありませんでした。

小学校は、姉が通っていた吉祥寺にある私立の小学校に通いました。

自宅は、東京は世田谷の東松原にある父の歯科クリニックに併設された一戸建でした。最寄駅は井の頭線の東松原駅だったため、通学は井の頭線で東松原駅から学校の最寄り駅である井の頭公園駅まで姉と一緒に通っていました。

その私立の小学校は、小等部から中等部、高等部まであり、12年間いつもずっと毎日、姉と一緒に通学することとなったのでした。

姉の祥恵は、アメリカから帰国したばかりで、まだ日本の道路事情もよくわからない最初のうちだけ、妹とは一緒に通学するのだと思っていました。まさか、その後、毎日12年間も妹と一緒に通学することになるとは思ってもいなかったみたいです。

「お姉ちゃん、待って!いま靴を履いているから」

ニューヨークでは、いつも母や祖父母と一緒に過ごしてきて、日本に帰国してからも、いつもどこへ行くにも姉と一緒に過ごしてきた甘えん坊の今井ゆみは。1人で通学することができず、高校を卒業するまで、ずっと学校の行き帰りは、いつも姉の祥恵と一緒でした。

この時の話は、小説『明星学園物語』として書かれています。

その後、多摩美術大学に入学し、絵画科の日本画専攻で日本画を学びました。といっても、多摩美術大学にストレートで入学したわけではなく、ずっと高校を卒業するまで姉と一緒の学校に通っていた今井ゆみは、大学も姉と一緒の大学に通えるものと思いこんでいました。

そして、父の歯科クリニックを継ぐため、医者を目指していた姉の祥恵は、慶應大学の医学部に入学しました。特に、父の歯科クリニックを継ぐ意志もなく、医者になる気もない今井ゆみでしたが、姉と同じ大学に通いたかったという理由だけで、東京大学の医学部に入学しました。

同じ大学に通いたかったのに、姉の祥恵は慶應大学に入学して、妹の今井ゆみは東京大学に入学することになりました。その辺の経緯については小説『明星学園物語』の中にて書かれています。

大学卒業後、在学中から印刷会社や看板会社にてパソコンを使用したグラフィック作業を経験していた今井ゆみは、横浜の小さな貿易会社に就職しました。

その会社は、日本から世界に向けて中古車を輸出する貿易会社でした。その会社のいったい何が気に入ったのかはよくわからなかったですが、今井ゆみは母の小さな赤いベンツに乗って、毎日無遅刻無欠席で、東京の東松原から横浜まで通勤していました。

そんなお気に入りの会社が閉社することとなってしまい、今井ゆみは無職になりました。

無職になってしまった今井ゆみでしたが、特に慌てることもなく、毎日自宅で母の家事を手伝いをしながら、のんびりと暮らしていました。

妹には特別甘い母も特に慌てることなく、毎日ゆみちゃんと一緒にいれて楽しいわなどと喜んでいました。そんな妹と母を見かねた姉の祥恵は、父の歯科クリニックを継いだ時の会社経営の勉学も兼ねて、プリンセストレーディングという貿易会社を起業しました。

プリンセストレーディングの事業内容は、中古車や自動車を輸出する貿易会社でした。あえて妹が毎日気に入って通勤していた横浜の貿易会社と同じ事業内容にしたのでした。そうすることで、無職の妹に姉として職場復帰させてやりたかったのでした。

プリンセストレーディングの事業は順調で毎年業績は右肩上がりでした。

その後、祥恵の中等部時代の同級生だった小倉まなみことミンチーも会社に合流して、姉の起業したプリンセストレーディングは亡き祖父母の実家があった長野県に本社を移転するまでになりました。

一時期、プリンセストレーディングの事業を小倉まなみに任せて、祥恵は妹の今井ゆみを引き連れてヨットで世界巡航に出かけたことがありました。

その時の話は、プリンセスゆみの世界巡航記に書かれています。

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